井上日召が住職をしていた。橘孝三郎らと共に、此処から血盟団事件、五・一五事件が起こる。wikiを見れば、彼らは、大洗組とも水戸組とも茨城組とも言われたとある。
博物館敷地の護国寺側に藤田東湖の大きな像がある。木々に囲まれてしまって見過ごしてしまいがちである。
幕末と明治の博物館は元は常陽記念館と言った。
土佐藩出身の元勲、宮内大臣も勤めた田中光顕が、維新への水戸藩の貢献を顕彰するため、旧水戸藩領での記念館の設立に尽力したものである。
博物館の前には田中光顕の像が建っている。
田中光顕の叔父は那須信吾、吉田東洋を暗殺した人物。
後藤象二郎の叔父が吉田東洋。
wikiから、通称「象二郎」の名乗りは、容堂の「吉田東洋に象(かたど)れ」との言に基づくとされる。
維新に功績があり明治になって活躍した二人は仇同士だったということになる。
藩主の問題もあって、土佐藩もまた大きな分裂があり、多くの志士が死んでいる。
他人事ではなかったのだろう。
「日本を洗濯したい」と手紙に書いた坂本龍馬。此処で『大』いに『洗』濯してもらいたいと願う。
「あしたのジョー」(前回のブログ)の原作者、梶原一騎は、「巨人の星」で龍馬の言葉を紹介している。「死ぬときはドブの中でも前のめりで死にたい」
この言葉は、既に、龍馬の記録に無いことは分かっている。
しかし、ジョーと龍馬が形になって来てくれたら、また、思い出されるかもしれない。
積み重なったわだかまりを流して、例えば、藤田東湖の像を近隣皆で協力して大掃除をするとか。
洗剤屋さん(ライオン)が【大洗濯の日】(12月第3土曜日)なるものを仕掛けている。
活用したらよいと思う。
藤田東湖だけではない。田中光顕も、新たに来てもらった坂本龍馬も。年に一度。
(まさか、龍馬は、自分が洗濯される側になるとは思わなかっただろう)
そうなれば、皆でもっと大きな力が出せるのではないか。
短い期間だったが、私も大洗町で禄を食んだ事があり、毎年12月になると、そんな事を考えている。
有名な坂本龍馬像では、懐に何が入っているのかが語られ、始めは拳銃、後には万国公法だとされる。つまり、龍馬のいう洗濯は、「武」、争いではなく、道理によるものである。
しかし、来てもらうのだから、何か新しい龍馬像も考えてみたい。
坂本龍馬は北辰一刀流の目録である。水戸市には現在も北辰一刀流を受け継ぐ東武館がある。「武」は用いずとも、その精神は変わらない。「武」は心を強くする。だからこそ、大きな仕事にも立ち向かえる。
腰の刀の精神性、拳銃の合理性、万国公法の普遍性、それらが合わさったのが坂本龍馬だと言えるのではないか。そもそも、日本を洗濯するということは、志の高さとして言うならば、幕末の志士に共有されるものであり、武士としての武道の鍛錬によるところも大きいと考え得る。
もし、来洗が実現すれば、田中光顕の引いてくれた縁には最大限に感謝しなければならない。
田中光顕は日本漆工會の2代目会頭となり、漆器の改良にも取り組んだそうだ。
既に、食洗機で洗える漆器が出回っているそうだから、これを機会に大子の漆でも、何かしらの、ちなんだ銘を付けて、関係者に贈ったら如何かと考えてみた。